2008年7月13日日曜日

モノサシを捨てる

官尊民卑の心が自分の中にある。

自分の中の官は、「思考力」だ。

「思考力」がある人を崇拝し、

「思考力」がない人間を差別する。

いつのまにかそんなモノサシが、自分に内在化していた。

結局のところ、コンプレックスなのだろう。

自分のモノサシを捨てない限り、他人を観察することはできない。

網膜には映っているけど、像を捉えることはできない。

自尊心⇔

「自尊心」をうまくコントロールしよう。

確かに自分は「自尊心」に縛られて生きている。

しかし「自尊心」を満たすだけの生き方は空虚だ。

自分のエゴイズムを自覚すべきだ。

人から認めてもらわれなくても、やりたいことに意識するべきだ。

自分は?

「自尊心」

仕事が大変なのは、「自尊心」が破壊されることである。

上司が部下を管理するのは、「自尊心」をうまく利用するのがいい。

一度、「自尊心」を破壊して、その後「自尊心」を認める。

周りに聞こえる大きな声でほめる。

部下は、「自尊心」を認められ続けるために行動する。

自分が何のためにそれを行っているのかを忘れて。

目標を達成した後のビールの美味しさを味わうために。

悪趣味としかいいようがない。

2008年7月11日金曜日

ほめるな

「ほめるな!」という新書がBOOKOFFにあり、ペラペラとめくってなんとなく概要をつかめた。

要は「自尊心をむやみやたらに認めるな!」ということである。

だからといってアメリカ軍みたいに、徹底的に自尊心を破壊するのとは違う。

まず前提として自尊心を認める。

だからといって、ほめない。

ほめて伸ばす教育をすると、ほめられるために行動する優等生になってしまう。

心に、親や先生のモノサシが内面化し行動してしまうと、本当に自発的な欲望が抑圧されてしまう。

ワタシは

感謝とか人間性なしに暮らせぬものかと考えた。

敵を作らない方法

仲間を作ることは、同時に仲間はずれを作ることである。

敵を作らないためには、仲間を作らなければいい。

人とむやみやたらと近づいたり、または差別したりせず、適当な距離感で接すればいい。

世界にひとつだけでもない花

脱個性的な人とは、何にでも対応できる人のことをいうのだろう。

自分の主観を排除し、客観的に人を見ることができる人。

自分のモノサシで人を計ると、人を区別し差別してしまう。

しかし人にAもCもない。

ただ「そういう人」なだけなのだ。

善いも悪いもない。

ただ「そういう人」に応じて態度を変えることができるのが、「脱個性的な人」だ。

別にワタシは世界にひとつでないし、ひとつもない。