2008年9月7日日曜日

本当の悪役はお前だ。

映画『闇の子供たち』を観た。
『闇の子供たち』は、タイの「臓器売買」と「幼児売買春」をテーマにした映画だ。

それを観た女友達は、こう言った。
「男性不信になった。」
「音羽(宮崎あおい)に腹がたった。」

…今まで何の映画観ててん!!

確かに劇中では、子供を買う男の醜態がおもむろに描かれているし、宮崎あおいは、目の前の子供を救うことしか眼中にない偽善者でこれもまた醜い。

ただ男の醜態を描かなければどうなるか。AVの構図と同様に「される側」(子供)が映されることになる。苦痛に顔が歪む子を観て生まれるのは、安易な同情と新しいペドファイルだけだろう。

またこの映画は、幼児売春をする大人と幼児を買う男が必ずしも「悪」として描かれていない。臓器提供を受け入れる親や、幼児を買う男も悩んでいる。幼児売春をする大人も、子供のときは「される側」だったのかもしれない。(劇中でも見張り役の人間がトラウマを思い出して吐いている。)

この仕組みに携わっている誰もが救われていない。大事なのは、この仕組みを白昼のもとに引きずり出し、その仕組みを断ち切ることなのだ。

南部は新聞記者としてその仕組みを見ようと取材を続けるが、音羽(宮崎あおい)は目の前にいる一人の子供を助けようとする。「一人の子供を助けても、また次の子供が連れてこられる」といっても、耳を傾けようとしない。

それでは、自分探しに出て、自分より下等なモノをみて同情して、それらを救出することに自分を見出して、自己満足しているに過ぎない。だから偽善者的で醜いし、腹が立つのだ。

しかし映画館にいる中の誰が宮崎あおいでないと言い切れるのだろうか。土日が暇で、ちょっと社会派の映画を観て安易に同情して、次の日には他の映画で感動するあなたの、誰が宮崎あおいではないのだろうか。

音羽(宮崎あおい)に腹がたったのは、醜い醜態をさらけ出しているおまえ自身の姿だからだ!