2008年5月8日木曜日

比較する思考

「比較」するということは、現代社会の「自明性の檻」の外部に出てみるということです。(見田宗介『社会学入門』)

最近、研修でグループディスカッションをしながら、気づいたことがある。
「思考する」とは、常に物事を比較して、相対的に見ることだと言い切ってもいい。

ゼミでは「思考する」ということを、「逆算法」という言葉で使用していたが、
そのときは無意識のうちに「逆算法」を使っていた。

しかし今回「逆算法」を意識化に持っていくことで、
一気に思考力がついた。
自転車に急に乗れたときみたいに、
本もよく読めるようになった。

やばい!

おばちゃんのバイブ

ファミレスで友達と喋っていた。
すると、どこかでケータイのバイブが鳴った。
「ヴゥーヴゥー、ヴゥーヴゥー」
自分のケータイを見たが、自分ではない。
友達も確認していたが、どうやら友達でもないらしい。

他の客かと思いながら、話を再開していたが、
なかなかケータイのバイブの音が止まらない。

「ヴゥーヴゥー、ヴゥーヴゥー」
「ヴゥーヴゥー、ヴゥーヴゥー」
「ヴゥーヴゥー、ヴゥーヴゥー」

誰やねん!
周囲を確認してみたが、
バイブが鳴っているらしき形跡はない。
おかしいな~と思ってたら、
友達がポンと肩を叩いて
「もしかしたら、あれちゃん」と指をさした。

指が指している方向を見たら、
おばちゃんが、
「うぅんうぅん、うぅんうぅん」
とうなづいていた。

おばちゃんのあいづちやったんかい!!!

本はメガネ

本はメガネ

裸眼のときはぼやけてみえていた世界。

しかし本というメガネをかけることで、
あいまいに霞んでいた世界が、
ハッキリ見えるようになる。

ひとつ理論を知ることで、
鮮やかに現実を切ることができる。

ルール理論

人はルールに縛られて行動している。

ある日、フィリピン人の友人と議論した。
しかしまったく話が理解できない。
私の英語力がないのもひとつの要因だが、それ以上に価値観が違いすぎる。

次の日、その友人と、バスケットをした。
私とその友人は、リングに向かってシュートして、
決めれば、同じように喜んでいた。

当たり前のことだが、すごく違和感を覚えた。
昨日、まったく理解できない二人だったのに、
同じルールの上では、同じ動き方をしている。

人はルールに縛られて行動している。
自由に行動しているようにみえて、ルールに制約されている。
見えないルールに、自覚的になるべきだ。