「人が取りこぼす視点を拾って、突っ込んでいきたい。」
これが私の目標である。
2008年3月6日木曜日
マクラ「落語の聴き方」
「お笑い」というものは、構えられるとやりづらいものです。
特に落語では、伝統芸能だと思って、うっと腕を組んで冷静に分析しようとする。
でも本来、落語なんてのは、いいかげんなこと言って金をもらう賎業であります。
そんな大それたものではない。楽に聞いてくれたらいいんです。
特に落語では、伝統芸能だと思って、うっと腕を組んで冷静に分析しようとする。
でも本来、落語なんてのは、いいかげんなこと言って金をもらう賎業であります。
そんな大それたものではない。楽に聞いてくれたらいいんです。
マクラ「会話に入る」
4対4の合コンで真ん中の席に私は座った。
合コンが始まると、会話が二分した。
私の右では「好きなタイプ」、私の左では「おっぱぴ~」の話になっていた。
真ん中の私は、どうやらどっちの話にも参加していないようだ。
現実に壁はないが、そういうオーラが出ている。
これはまずい。このままじゃハミる。
私は右の好きなタイプの話をさも聞いているかのように、めっちゃ頷いていた。
そしたら、隣におった男友達が私の行動を客観的に見てて、
「今、自分会話に入ろうとしてなかった?」
と言われた。客観的に指摘されてめっちゃ恥ずかしかった。
合コンが始まると、会話が二分した。
私の右では「好きなタイプ」、私の左では「おっぱぴ~」の話になっていた。
真ん中の私は、どうやらどっちの話にも参加していないようだ。
現実に壁はないが、そういうオーラが出ている。
これはまずい。このままじゃハミる。
私は右の好きなタイプの話をさも聞いているかのように、めっちゃ頷いていた。
そしたら、隣におった男友達が私の行動を客観的に見てて、
「今、自分会話に入ろうとしてなかった?」
と言われた。客観的に指摘されてめっちゃ恥ずかしかった。
マクラ うんちく
うんちくを得意げに語るのはいいが、出典がどこにあるのかを明らかにしなければならない。
彼女とチェーン居酒屋に行った。居酒屋のホールスタッフは、注文を電子機器に打ち込んでいる。
そこで私はある話を思い出して、彼女にうんちくを披露した。
「注文を打ち込む機械があるだろ?実はあの機械ひとつで二、三万もしてかなりコストがかかるんだって。だから今はコストを下げるために、あの機械をDSで代替しようとしてるんだって。」
「学校の勉強でもDS、居酒屋でもDS、もう世の中DS祭りだね。」
とまぁまぁなうんちくを彼女に披露したら、彼女が、
「いやってかそれ私が話した話やん。」
これは全力で恥ずかしい。得意げに語ってしまった自分に後悔した。
彼女とチェーン居酒屋に行った。居酒屋のホールスタッフは、注文を電子機器に打ち込んでいる。
そこで私はある話を思い出して、彼女にうんちくを披露した。
「注文を打ち込む機械があるだろ?実はあの機械ひとつで二、三万もしてかなりコストがかかるんだって。だから今はコストを下げるために、あの機械をDSで代替しようとしてるんだって。」
「学校の勉強でもDS、居酒屋でもDS、もう世の中DS祭りだね。」
とまぁまぁなうんちくを彼女に披露したら、彼女が、
「いやってかそれ私が話した話やん。」
これは全力で恥ずかしい。得意げに語ってしまった自分に後悔した。
マクラ 「親戚」
どうも波多野です。
大人になると、親戚と顔を合わせる機会が、年々少なくなってきます。だから端で見かけても、自分の親戚とは気づかないこともあります。
この前、映画を見に行きました。そこの売店で、ソフトクリームを注文しました。
しかしその売店の店員が、どうやら新人らしくてどうも動きがぎこちないのです。ソフトクリームを作ろうとするんですが、なかなかうまくいきません。
やっと持ってきたときには、もう予告編が始まっている位の時間でして、 「なんやねんこいつ、ちょっと文句言うたろう」とパッと名札を見たら、「波多野」って書いてあるのです。
よく見たら、私のいとこの「波多野ひろくん」なんですね。
文句言おうと思っていた私も、波多野が波多野を批判したら、自分が怒られているみたいになりますから、そこは「ありがとう。」といったのであります。
道徳的に言えば、やはり人を見るときは区別や差別などしてはいけないのではあります。しかし人間、「身内には甘い」のですね。そんなことを感じたのであります。
大人になると、親戚と顔を合わせる機会が、年々少なくなってきます。だから端で見かけても、自分の親戚とは気づかないこともあります。
この前、映画を見に行きました。そこの売店で、ソフトクリームを注文しました。
しかしその売店の店員が、どうやら新人らしくてどうも動きがぎこちないのです。ソフトクリームを作ろうとするんですが、なかなかうまくいきません。
やっと持ってきたときには、もう予告編が始まっている位の時間でして、 「なんやねんこいつ、ちょっと文句言うたろう」とパッと名札を見たら、「波多野」って書いてあるのです。
よく見たら、私のいとこの「波多野ひろくん」なんですね。
文句言おうと思っていた私も、波多野が波多野を批判したら、自分が怒られているみたいになりますから、そこは「ありがとう。」といったのであります。
道徳的に言えば、やはり人を見るときは区別や差別などしてはいけないのではあります。しかし人間、「身内には甘い」のですね。そんなことを感じたのであります。
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