2008年2月6日水曜日

クタバレ!すぐメールで会いたいという人

すぐメールで会いたいという人がいる。

相手に何か用事があったとしても、「会いたい」といってくる。

用事をずらして会いに行くと、別に何もしない。

そういう人は、ただ孤独を紛らわしたいだけである。

孤独を紛らわしたいだけの人は、相手を拘束したがる。

その割りに、他に孤独を紛らわす人ができたら、そっちに乗り移る。

で結局繰り返し、同じことをする。

結論からいうと、自分のために人を利用とする人間は、どこまでいっても孤独である。

たとえSEXしていたとしても、相手との距離の遠さに虚無を感じるだけである。

クタバレ!私のこと好き?と聞いてくる人

常に「私のこと好き?」と聞く人がいる。

私が「普通」と答えると怒る。

私はこの人が異常だと思う。

確かに恋愛しているのだから、その相手のことを好きでいることは間違いない。

だからといって、人間だから、常に好きな状態でいるわけではない。

泣いたり笑ったりするように、人に対する感情も変化する。

例えば、常に笑っている人を見たら、なんか怪しいと思わないか。

感情をひとつに拘束するというのは、これは脅迫ではないだろうか。

クタバレ!指輪をつけたがる人

やたら指輪をつけたがる人がいる。

指輪をつけることで、別に彼氏・彼女といつも繋がっていると感じ、他人に彼氏・彼女がいることを認めさせ寂しい人じゃないということを主張している。

しかしロマンチック・ラヴ的指輪は、「女性の性を男が所有する」という約束手形みたいな要素もある。

だから高らかに指輪を見せびらかす人は、大声で「この人しかSEXしませんよ」とマニュフェストを公言しているのと一緒である。

くたばれ!ロマンチック・ラヴ!

ロマンチック・ラヴは、くたばってしまえばいい。

ロマンチック・ラヴ・イデオロギーとは、「SEX-恋愛-結婚」が三位一体となっている考え方だ。

この考え方は、婚外子を認めない日本の法律(SEX-結婚)や、恋愛のゴールは結婚というドラマ(恋愛-結婚)によって、支えられている。

ロマンチック・ラヴが当たり前だと思っている女は、「結婚するまでSEXしない」という貞操観念に捉われているし、結婚している状態で他の女性とSEXすることを「浮気」として罪になる。(SEX-恋愛)

確かにロマンチック・ラヴは、ひとつの恋愛のあり方あるのは認める。しかしながら、恋愛はロマンチック・ラヴしかないという風潮は危惧するべきはないだろうか。

チップのGIVE&TAKE

チップをもらうことも、「サービス以上のサービス」の中のひとつである。

確かにチップは、サービス以上のサービスをしたときに、もらえるのだから対価のように見える。

なぜならチップはもらう人よりも、あげる人の方が嬉しいからだ。
チップをあげることは、自分で自分の力を感じることができるからだ。『私はチップをあげて人を喜ばせている』と感じることで、生き生きとする。アナロジーとしては、料理は食べる側より作る側の方が楽しいことがあげられる。

だからチップは、好きなだけもらえばよい。そして思いっきり喜べばよい。思いっきり喜べば喜ぶほど、客は喜ぶのだからだ。チップをもらうことは何もずるい行為ではないのだ。

チップのもらい方の違いでわかること

チップのもらい方で、人の動き方がわかる

だからといって、どういうチップのもらい方が正しいとか、チップをもらってない人は動いてないというつもりではない。

最近発見したのだが、私と先輩ではチップのもらい方が違うのだ。

私は、主に客側からもらう。
先輩は、主にホステス側からもらう。

「サービス以上のサービス」の仕方にどのような違いがあるのだろうか。

私の「サービス以上のサービス」は、お客様に愛想を振りまくことだ。

ただ注文された料理を持っていくだけでなく、笑顔で元気よく料理を持っていく。さらに料理の説明を加えたりしながら、お客様と談笑する。

気に入ったお客様は、「いい兄ちゃんだね、好きだよ」という風になって、財布の中から千円が出てくる。

それに対して、先輩の「サービス以上のサービス」は、ホステスさんに愛想を振りまくことだ。

例えば、先輩は、ホステスさんが新しいヘアスタイルに変わったとき、すぐ気づいて褒める。新しいドレス、メイクについても同様だ。チップをもらっても、お返しにその金でバッグをプレゼントしたりする。

先輩は言う。「さりげない一言で、一日ホステスさんが気分よく仕事できるやんか」と。

なるほどなと私は思いました。




チップの意味

チップは、別に一万円でも、飴玉ひとつでも、意味は変わらない。

前章で、チップは「金と対価のサービス以上のサービス」をした時に出ると言った。

だからといってチップは、「サービス以上のサービス」に対して、客が支払う金ではない。

客は、「サービス以上のサービス」をしてくれて「ありがとう」という意をこめて渡すのだ。

だからもらうものは、何でも構わない。

もらったチップの内容が重要ではなく、チップをもらうという形式自体が重要なのだから。

とはいえ、チップの内容も気になるのが人間の性というものか。

私がもらって嬉しかったのは、電話番号かな(笑)


チップのもらい方

チップは、「金と対価のサービス以上のサービス」をしたときに、出るものだ。

例えば、客が焼酎を頼んで、ウェイターが焼酎を持ってくるとする。これは金の対価のサービスである。

しかしウェイターが注文の際に、そのお客さんがかなり酔っていることを察して、焼酎とともにお冷を置いておく。これが「金と対価のサービス以上のサービス」である。

そのように、言われたことをやるのではなく、言われる前にやることが大事なのである。

「まかない・寮つき」のバイトへは行くな!

「まかない・寮つき」のバイトへは行くな。

確かに一見すると、魅力的な条件に見えるかもしれない。バイト代は、食費や家賃などの生活費を節約できるから、自分の小遣いに使える。

しかし私は警告する。「まかない・寮つき」のバイトへは行くな。
なぜならバイト君は、「会社に飼われている動物」と化するからだ。

私が働いたある飲食業のバイトでの話だ。

 まず「まかない」から。「まかない」には、週2回程度、炒め物が出てくる。それをバイト君たちは、「チャンプルー」と呼んでいる。「チャンプルー」とは、沖縄の料理で「ごっちゃまぜ」という意味だが、その炒め物はまさにそれである。味付けは辛くしてあるので一緒なのだが、中身はいつも違う。この前食べたときは、きゅうりの漬物が入っていた。要は「チャンプルー」とは、そのとき余った食材を炒めた料理なのだ。確かに本来「まかない」とはシェフが余った食材を駆使して作るもののである。しかし辛い味付けでただ炒めるだけの料理はそんないいもののではない。

 これは何を意味するかというと、バイト君は、ただの残飯処理係なのだ。ゴミを漁るネズミのことは笑えない。バイト君は、だいたいそのエサを5~10分程度で食べる。味わっている暇はない、ただ胃袋の中に栄養を入れているだけだ。

 次に寮だ。これに関しては「寮」と呼んでいいのかすら疑問である。まず4.5畳くらいの畳張りの部屋で、畳は老朽化し、湿って腐りかけている。もちろんコンロ・トイレ・風呂はない。究極なのは、鍵が南京錠で、外側からしか鍵がかけられないようになっているのだ。

 「外側からしか鍵の開け閉めができず、中はただのスペース。」
このことが何を意味しているのかというと、その寮は寮ではなくただの「オリ」なのだ。バイト君は、すすんでオリの中に入る、いい動物なのだ。

 以上のことから、「まかない・寮つき」のバイト君は、オリに入れられて、最低限のエサを与えられている人間なのだ。その生活に甘んじてしまったら最後、バイト君はもはや自力で抜け出すことはできない。
生きるために働くのではなく、働くために生きる状態だ。企業が家族的で保障されていたら問題はないが、国民年金や医療保険など払ってくれているはずがない。

2008年2月5日火曜日

男の心を動かす仕事、ホステス

人の心を動かす快感を、少なからず感じたことがあるだろう。

たとえばやる気のない部下をやる気にさせたり、

悩んでいる友人を励ましたり、

あるいはマスコミ、芸人、宗教家、心理カウンセラーなど、

快感を感じたことがあるだろう。

そういう「人の心を動かす」仕事のひとつに、水商売がある。

ただこの場合、ターゲットは中年男性に範囲が絞られる。

ホステスは、中年男性の心を、いろんな手段を使って支配し、金を搾取する。

店のNO.1に輝く指名は、したがって目の色が違う。

男の目の奥にまで入り込むような目をしている。

主導権

キャバレーでは、ホステスが主導権を握っている。

 確かに一見すると、客である男の方が主導権を握っているように見える。男がホステスを選択できるし、合わなかったら別のホステスを呼べる。

しかし私は、ホステスさんの方が主導権を握っているように見える。

なぜならば、ホステスに落ちた男は、簡単に心を支配され、利用されるからだ。

 ホステスは、客をいろんな手段でもてなし、その気にさせる。手段はいろいろある、まずはカオやムネなどの容姿から始まり、それを活かしたボディータッチや視線、無いものは方言、トーク、料理、メールでじらすなどだ。

 落ちたら後は簡単、ホステスは、男に金を貢がせる。男は同伴やアフターを楽しみたいために、女を指名し続ける。誘っても、遠まわしの返事でごまかしていく。すると男は「後もうちょっと!」という気分になり、さらに指名しつづける。

 男というものは、ある目標のために一点集中する生き物だ。これだと決めたら、何が何でも手に入れるということを、男の美学として叩き込まされている。

 その特性を利用し、女は自分の思い通りの方向へ男を誘導する。だからキャバレーではホステスの方が主導権を握っている。

家父長制ごっこ

キャバレーは、一言でいうと「家父長制ごっこ」である。

「家父長制ごっこ」とは、小倉千加子の言葉を借りるならば、「カネとカオの交換する儀式」である。

カネを払う男と、カオで接待する女。

男は、経済力のある男を演じ、お気に入りの女を指名する。

女は、性的魅力のある女を演じ、男をその気にさせる。

しかし実際、ほとんどの客は、「男らしい男」ではない。

一歩キャバレーの外を出てみると、さえないサラリーマンだろう。

当たり前の話、「男らしい男」だったら、ごっこなどせず、現実に養っているだろう。

「男らしくない男」が、「男らしい男」を演じることで、自分を慰めているのだ。

女性の場合も、一歩外に出てみれば女扱いされないような女性がうようよ蠢いている。

性的対象に見られる快感というものがあるのだろうか。