2007年10月8日月曜日

リーダー

祭りを通して、「リーダー」というものに、すごく考えさせられた。

「リーダー」になれば、班員はよく服従する。

自分は指示を出すだけで、あとはみんなが動いてくれる。

自分は肉体的には楽ができる。

それでいて、目立って、俺がやったったみたいな面ができる。

それはすごく気持ちいい。


でも「リーダー」には、そんな人間などいなかった。

弁当が足りなかったら、自分の弁当を差し出す。

みんなが休憩しているときは、ずっと立ちっぱなしで、団員を団扇で扇ぎ、水をみんなに渡す。

指示を出すときも、頭下げてお願いする。言葉は汚いが、命令ではない。

「俺らこの日のために一年間頑張ってきた。だから頼むから頑張って曳いてくれ。」
「俺らも頑張るから、ちょっと頑張ってくれや。」

諦めそうになったときは、笛で盛り上げ、励ます。

ハチマキ、足袋、宿泊、温泉、朝食、帰りの車、電車賃、打ち上げ、部外者の人間を暖かく向かいいれてくれる。

最後の最後は、祭りに携わってくれた関係者の人たちに、感謝のことばを述べる。

兵隊さん。

最初は、兵隊みたいだと思っていた。

綱長やなんやらが、けたたましく声を上げる。
「お前らしっかせえよ!!わかったか!!」

それに対して、青年団員が声をそろえて返事する。
「はい!!!!」

それで、重い綱を汗をかきながら、引っ張っていく。

普段、「個」で暮らしている人間にとっては、気持ち悪くうつった。


でも兵隊とは違うところは、それが強制的ではないところだ。

やりたくなければ、やめればいい。

やらなければならないことは、決してない。

ただ参加するなら、徹底的にやっていく。

私は参加した。

みんなの力が合わさった時の力は驚異的だった。

誰もが限界を超えながら、それでもみんなで凌駕していく。

祭りを愛する気持ち

地車を曳く人間にとって、身分とかポジションとか優劣は存在しない。

あるのは、「祭りを愛する気持ち」だ。

その気持ちが、地車を前へと進ませる力になる。

地車は、当たり前ながら一人では動かせない。

だからといって、人数がいたところで動かせない。

動くときは、みんなの気持ちがひとつになったときだ。

そのためには、まず声を合わせる。

辛いときこそ、みんなで声を出す。

「うぉーりゃ!!うぉーりゃ!!」

次第に、自分がみんなと融合していくのがわかる。

それが大きな力になって、はるかに限界を超えていく。

限界などあったのかというほどに。