2007年6月20日水曜日

「ネットカフェ難民」という言葉はおかしくないだろうか。

「ネットカフェ難民」や「マクドナルド難民」なる言葉が流通している。
住む家を持たず、終夜営業のインターネットカフェで寝泊りする人を指す言葉だ。


でも「難民」という言葉は、どこか否定的だ。
きっとキチンと決まった家に帰ることが当たり前と思っている
「家父長制を信仰する人間」が、
「難民」などと付けているのだろう。


「ネットカフェ難民」を論じる人間は、
結局のところ「家族のがあり方が変わっている、注意せよ。」に落ち着く。
「家族」が、社会に居場所の無い人間のセーフティネット?
「家族」のおかげで、日本の福祉にと治安にかけるコストが削減できた?

ふざけるな。

その裏側で、女性がどれだけ無償で家事労働しているのか。
彼女らは、もっと別の生き方は無かったのか。

日本が福祉と治安に金をかけなかったせいで、
「家」の中は、無法地帯となっているのだ。
今までDVが許されてきたのは、父が王様だったからだ。


結論から言えば、彼らは立派な「ネットカフェ住民」である。
決して迷ってなどいない。
むしろみんなが安心して乗っている「タイタニック号」から
脱出を図ろうとしているのだ。


ネットカフェに住んでいる人間が「難民」なら、
誰が「難民ではない」なのだろうか。
マンションに住んでいる人?
ただ月単位で借りているだけではないですか?
月単位が、
日単位でホテル、
そして時間単位でネットカフェに移行したでけではないか。


「マイホーム」が夢?笑わせるなよ。

2007年6月19日火曜日

ZODIACと富山冤罪事件

ZODIACでは、明らかに真犯人としても、逮捕できなかった。

なぜならば、「物的証拠」が出てこないからである。

どれだけ推理が合っていても、証拠がなければ逮捕できない。

探偵モノのマンガで犯人が「どこにも証拠が無いじゃないか」と言い訳するのもその理由。

富山冤罪事件では、明らかにニセ犯人としても、逮捕した。

県警の捜査官が、強姦の容疑で逮捕された男性に、

犯行の見取り図を描くことを要求、

描けなくて困っていると、取調官が手をつかんで描かせたり、

一部を自分で描いたという。

さらに被害者の少女が、「ギザギザのサバイバルナイフ」で襲われたと供述、

県警が家宅捜査して見つけたのは、「つるつるの果物ナイフ」。

そんなのどこにでもあるやん!と言いたくなるが、

県警は、被害者の少女が動転として混乱しているとして、矛盾は起きてないと主張した。

ここに科学的根拠(物的)と、状況的証拠(推理)の乖離が見られる。

2007年6月17日日曜日

目立ち方

映画 ZODIACを観た。

社会では自己顕示欲が美徳とされる。

いつだって芸能人は尊敬のまなざしで見られる。

でも社会の中で名を残すということは、とてつもなく困難なことだ。

何かで一番になれ、オンリーワンになれ、

そう刷り込まれるが、

頂上というのは、

はるか高く狭い。

ほとんど凡人のまま、一生涯を終える。

しかし一つだけ明日から有名になる方法がある。

「犯罪」だ。

「犯罪」には、メディアが駆け寄って、報道したがる。

そんなニュースに価値があるかどうかわからない。

しかしメディアが大きく取り上げれば取り上げるほど、

価値が上がる。

ゾディアックは、まさにメディアを利用して

一握スターダムにのし上がった人間だ。

イメージの中で生き続ける。

ZODIAC

昨日、私は映画「ZODIAC」を見に行った。

この映画の監督は、デヴィット・フィンチャーだ。

映画「FIGHTCLUB」も作った監督だ。

今回もフィンチャーらしい反抗的なメッセージを送っていた。


ボーイスカウトみたいにママゴトで満足している自己満足野郎を笑い、

観客には、ビックマックを食わせつつ、それだけで満足している奴らにファックする。

人は完璧にはなれない。

白い歯、オシャレな髪型、ヴィトンのカバン、DKNYのタイ、

そんなものに、人生の大半の時間を無駄に費やすことが本当に必要なのか。

完璧なんて目指すな。それは幻想だ。