2008年3月24日月曜日

私は、個性にこだわるイデオロギーのポジからもネガからも自由でいたい。

モノにこだわることは、必ずしもモノのコレクターであることだけを意味しない。気に入らないモノは、灰皿一つだって自分の部屋に置きたくない、という排除の美学だって、モノへのこだわりの裏返しのあらわれである。シンプルライフというのは、そういう排除のイデオロギーだろう。私は、モノにこだわるイデオロギーのポジからもネガからも自由でいたかった。(上野千鶴子,『増補<私>探しゲーム』ちくま学芸文庫)

私は、個性にこだわるイデオロギーのポジからもネガからも自由でいたい。



矢幡洋さんの『とにかく目立ちたがる人たち』の「はじめに」を読んだ。

 矢幡洋さんは、小学生の時「ひょうきんもののヤハちゃん」として個性的なキャラだった。しかしそういう自分が嫌いだったので、中学生になったら目立たないように努力していたらしい。没個性的になろうと努力していたのだ。

 しかし個性的になろうが没個性的になろうが、個性にこだわっている時点でイデオロギーに縛られている。イデオロギーの鎖を外すためには、その鎖がどういう形をしているのかを引きずり出して見なければならない。

 だから私は、個性的になる方法でも没個性的になる方法でもなく、脱個性的になる方法を模索する。

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