確かに自尊心は大事だ。
おじいちゃんやおばあちゃが無償の愛をくれたり、
彼女が悩みを受け止めてくれたり、
友達が応援してくれるだけで、
水を得た魚のように自信満々に振舞うことができる。
どんな批判も跳ね返すことができる。
自尊心が満たされなければみじめで卑屈になる。
彼女があまり可愛くないから、人に見られるのは嫌だったりした。
就職活動うまく行かなかったから、アルゼンチンに逃亡しかけた。
私は姿をくらましたり、ごまかそうとする。
自尊心は大事だが、行き過ぎると自己欺瞞や他人の否定につながる。
例えば私は未だに高校の後夜祭で全校生徒の前で司会したことを誇りに思っている。
でも客観的にみれば、ただ場つなぎをしていただけで誰も覚えていないだろう。
自分の都合の良い記憶だけを集めてそれを反復して思い出すことで美化していく。
「記憶の修正」だ。
また友達から「お前は人をランク付けする」と言われたことがある。
たとえば私は以前に所属していたサークルにいた人間を差別していた。
逆にゼミの先生を崇拝し、推薦された本はその日に借りていた。
その自尊心という弱さや脆さや美しさは、みんな持っている。
しかし私は自分の自尊心を満たすために、視野狭窄に陥り、
自分とは違うものを排除し、人の自尊心を傷つけていた。
ゼミの先生がよく言ってた。
「自分が正しいと思っていることが痛い」
「個性という名のオリにとらえられている」
「知的であることの最低条件は、自己懐疑ができるかどうかということになる。」(『生物と無生物のあいだ』,福岡伸一,p.67)
自尊心を満たすために、私はずいぶん多くのものを失ったろう。
今私にすべきことは、人の自尊心を知って、それを尊重することだ。
友達が芸能人であるという栄光浴も、
ブランドを消費する人も、それを受け入れる。
それを馬鹿にしてはいけない。
笑うときは慎重にしなければならない。
人の自尊心を尊重することで、自分の自尊心がどういうものか骨格が見えてくる。
人の自尊心を尊重することで、自分の自尊心が破壊され、拡がっていく。
僕が尊敬する友達は、みんな柔軟性があった。
昔はなんて適当なやつだと思っていたが、
正直あこがれていた。
そういう奴は、他人の自尊心を尊重できる人間だった。
第二の人生のスタートが始まる。
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