2008年3月18日火曜日

脱・個性

自分をアピールすることをやめよう。

自分をアピールしているヤツを見ると、だるい気分になる。
たとえば、数学を私に教えてくる友達を例にあげる。

数学を教えてくれるのはありがたいが、教えることでいい気になっている。
『数学を教えてあげている俺すごいやろ』的なオーラを発している。

確かに数学を教え方はうまいかもしれないが、「自分のアピール」はいらない。
せっかくその友達を認めているのに、「自分のアピール」をされることで認めたくなくなる。

落語でも同じようなことがある。

落語の場合、それは「おかしい」場面、つまり聴き手が笑う場面であればあるほど、落語家は真剣に、まじめ顔で演ずるということだ。(本多勝一『日本語の作文技術』)

さらに文章でも同じことが言える。本多勝一は野間宏を引用している。

文章というものは、このように自分の言葉をもって対象にせまり、対象をとらえるのであるが、それが出来上がったときには、むしろ文章の方は消え、対象の方がそこにはっきりと浮かび上がってくるというようにならなければならないのである。(野間宏『文章入門』)

ある事実を表現するとき、自分がその事実をおもしろいと感じたのなら、その事実をありのままに伝えればいい。そこに自分の意見や解釈はいらないのである。

自分を背景の中に押しやり、対象を浮かび上がらせる。それが必要ではあるまいか。

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