2008年2月6日水曜日

チップのもらい方の違いでわかること

チップのもらい方で、人の動き方がわかる

だからといって、どういうチップのもらい方が正しいとか、チップをもらってない人は動いてないというつもりではない。

最近発見したのだが、私と先輩ではチップのもらい方が違うのだ。

私は、主に客側からもらう。
先輩は、主にホステス側からもらう。

「サービス以上のサービス」の仕方にどのような違いがあるのだろうか。

私の「サービス以上のサービス」は、お客様に愛想を振りまくことだ。

ただ注文された料理を持っていくだけでなく、笑顔で元気よく料理を持っていく。さらに料理の説明を加えたりしながら、お客様と談笑する。

気に入ったお客様は、「いい兄ちゃんだね、好きだよ」という風になって、財布の中から千円が出てくる。

それに対して、先輩の「サービス以上のサービス」は、ホステスさんに愛想を振りまくことだ。

例えば、先輩は、ホステスさんが新しいヘアスタイルに変わったとき、すぐ気づいて褒める。新しいドレス、メイクについても同様だ。チップをもらっても、お返しにその金でバッグをプレゼントしたりする。

先輩は言う。「さりげない一言で、一日ホステスさんが気分よく仕事できるやんか」と。

なるほどなと私は思いました。




チップの意味

チップは、別に一万円でも、飴玉ひとつでも、意味は変わらない。

前章で、チップは「金と対価のサービス以上のサービス」をした時に出ると言った。

だからといってチップは、「サービス以上のサービス」に対して、客が支払う金ではない。

客は、「サービス以上のサービス」をしてくれて「ありがとう」という意をこめて渡すのだ。

だからもらうものは、何でも構わない。

もらったチップの内容が重要ではなく、チップをもらうという形式自体が重要なのだから。

とはいえ、チップの内容も気になるのが人間の性というものか。

私がもらって嬉しかったのは、電話番号かな(笑)


チップのもらい方

チップは、「金と対価のサービス以上のサービス」をしたときに、出るものだ。

例えば、客が焼酎を頼んで、ウェイターが焼酎を持ってくるとする。これは金の対価のサービスである。

しかしウェイターが注文の際に、そのお客さんがかなり酔っていることを察して、焼酎とともにお冷を置いておく。これが「金と対価のサービス以上のサービス」である。

そのように、言われたことをやるのではなく、言われる前にやることが大事なのである。

「まかない・寮つき」のバイトへは行くな!

「まかない・寮つき」のバイトへは行くな。

確かに一見すると、魅力的な条件に見えるかもしれない。バイト代は、食費や家賃などの生活費を節約できるから、自分の小遣いに使える。

しかし私は警告する。「まかない・寮つき」のバイトへは行くな。
なぜならバイト君は、「会社に飼われている動物」と化するからだ。

私が働いたある飲食業のバイトでの話だ。

 まず「まかない」から。「まかない」には、週2回程度、炒め物が出てくる。それをバイト君たちは、「チャンプルー」と呼んでいる。「チャンプルー」とは、沖縄の料理で「ごっちゃまぜ」という意味だが、その炒め物はまさにそれである。味付けは辛くしてあるので一緒なのだが、中身はいつも違う。この前食べたときは、きゅうりの漬物が入っていた。要は「チャンプルー」とは、そのとき余った食材を炒めた料理なのだ。確かに本来「まかない」とはシェフが余った食材を駆使して作るもののである。しかし辛い味付けでただ炒めるだけの料理はそんないいもののではない。

 これは何を意味するかというと、バイト君は、ただの残飯処理係なのだ。ゴミを漁るネズミのことは笑えない。バイト君は、だいたいそのエサを5~10分程度で食べる。味わっている暇はない、ただ胃袋の中に栄養を入れているだけだ。

 次に寮だ。これに関しては「寮」と呼んでいいのかすら疑問である。まず4.5畳くらいの畳張りの部屋で、畳は老朽化し、湿って腐りかけている。もちろんコンロ・トイレ・風呂はない。究極なのは、鍵が南京錠で、外側からしか鍵がかけられないようになっているのだ。

 「外側からしか鍵の開け閉めができず、中はただのスペース。」
このことが何を意味しているのかというと、その寮は寮ではなくただの「オリ」なのだ。バイト君は、すすんでオリの中に入る、いい動物なのだ。

 以上のことから、「まかない・寮つき」のバイト君は、オリに入れられて、最低限のエサを与えられている人間なのだ。その生活に甘んじてしまったら最後、バイト君はもはや自力で抜け出すことはできない。
生きるために働くのではなく、働くために生きる状態だ。企業が家族的で保障されていたら問題はないが、国民年金や医療保険など払ってくれているはずがない。

2008年2月5日火曜日

男の心を動かす仕事、ホステス

人の心を動かす快感を、少なからず感じたことがあるだろう。

たとえばやる気のない部下をやる気にさせたり、

悩んでいる友人を励ましたり、

あるいはマスコミ、芸人、宗教家、心理カウンセラーなど、

快感を感じたことがあるだろう。

そういう「人の心を動かす」仕事のひとつに、水商売がある。

ただこの場合、ターゲットは中年男性に範囲が絞られる。

ホステスは、中年男性の心を、いろんな手段を使って支配し、金を搾取する。

店のNO.1に輝く指名は、したがって目の色が違う。

男の目の奥にまで入り込むような目をしている。

主導権

キャバレーでは、ホステスが主導権を握っている。

 確かに一見すると、客である男の方が主導権を握っているように見える。男がホステスを選択できるし、合わなかったら別のホステスを呼べる。

しかし私は、ホステスさんの方が主導権を握っているように見える。

なぜならば、ホステスに落ちた男は、簡単に心を支配され、利用されるからだ。

 ホステスは、客をいろんな手段でもてなし、その気にさせる。手段はいろいろある、まずはカオやムネなどの容姿から始まり、それを活かしたボディータッチや視線、無いものは方言、トーク、料理、メールでじらすなどだ。

 落ちたら後は簡単、ホステスは、男に金を貢がせる。男は同伴やアフターを楽しみたいために、女を指名し続ける。誘っても、遠まわしの返事でごまかしていく。すると男は「後もうちょっと!」という気分になり、さらに指名しつづける。

 男というものは、ある目標のために一点集中する生き物だ。これだと決めたら、何が何でも手に入れるということを、男の美学として叩き込まされている。

 その特性を利用し、女は自分の思い通りの方向へ男を誘導する。だからキャバレーではホステスの方が主導権を握っている。

家父長制ごっこ

キャバレーは、一言でいうと「家父長制ごっこ」である。

「家父長制ごっこ」とは、小倉千加子の言葉を借りるならば、「カネとカオの交換する儀式」である。

カネを払う男と、カオで接待する女。

男は、経済力のある男を演じ、お気に入りの女を指名する。

女は、性的魅力のある女を演じ、男をその気にさせる。

しかし実際、ほとんどの客は、「男らしい男」ではない。

一歩キャバレーの外を出てみると、さえないサラリーマンだろう。

当たり前の話、「男らしい男」だったら、ごっこなどせず、現実に養っているだろう。

「男らしくない男」が、「男らしい男」を演じることで、自分を慰めているのだ。

女性の場合も、一歩外に出てみれば女扱いされないような女性がうようよ蠢いている。

性的対象に見られる快感というものがあるのだろうか。